命の値段 in Mexico

最終更新: 6日前


「命だけは平等だ。」この崇高な理念のもと日本一の医療グループを築いた人がいます。徳田虎雄、毀誉褒貶相半ばする人物ですがその言葉には真実味がありました。


さてしかし、メキシコでこのような理念が通用するでしょうか。

ある日系企業の駐在員の方から聞いた話ですが、メキシコ赴任前の研修において次のようなことが言われていたそうです。

「メキシコで万が一、車で人を轢いてしまった場合、中途半端に怪我をさせるとかえって厄介なので、殺してしまった方が無難だ。轢いた相手が生きていると思ったら引き返して完全に殺してしまえ。」

どこまでが冗談でそこまでが本当なのかわからないなんとも反倫理的なこのアドバイスは、法の支配が十分でなく、どうような言いがかりをつけられるかわからない環境では、自らの身を守るための一つの対抗手段とも考えられます。現実から学んだ教訓だったのかもしれません。


ちょっと残酷な話になって申し訳ありませんが、当地では道端で犬の死骸をよく目にします。特に都市と都市を結ぶ街道を運転していると車に撥ねられた犬をよく見かけます。撥ねられて死んでいるだけでなく、何度も轢かれバラバラになった肉が道に散らかされているのです。なんとも無残ですがこのような光景に出会してもメキシコ人はあまりそれを口にしません。このような現実を認めたくなく拒否しているかのようです。

一方、富裕層にペットとして可愛がられている犬は、食事や美容、医療などの面である意味人間以上の待遇を受けます。メキシコでは人間社会同様、犬の世界にも格差があるようで、この国の日常を見ていると貧乏人の命の値段はペット以下なのではないかという気にさえなってきます。

日常の生活においては貧しい地区に一歩足を踏み入れるとちゃんとした歩道はなく、人よりも車の通行が優先されています。道を渡るのも命がけです。


いろいろな場面で尊いはずの命の安さを感じてしまいます。


どうもネガティブな面に焦点が当たってしまっていますが、この国では人間の価値が日本とそれほど違うのでしょうか。先進国においては人間の醜い部分がオブラートの包まれ日常あまり目にすることはなくなっていますが、当地では良きにつけ悪しきにつけ本音の部分が露骨に現れているだけのような気がします。


最後にこの国にはネガティブな面もありますがそれをカバーしてお釣りが来るほどのポジティブな面もあるということも付け加えておきたいと思います。


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